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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)4530号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙一記載の謝罪広告を、表題の「謝罪広告」を三倍ゴシック活字、「中曽根康弘」を二倍ゴシック活字、宛て先の「宮本顕治殿」を二・五倍ゴシック活字、その他の部分を一・五倍ゴシック活字として、全国で発行する新聞紙の朝日新聞、毎日新聞及び読売新聞並びに新聞紙上毛新聞に各一回掲載せよ。

2  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年三月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項について仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、第二次世界大戦前後を通じて日本共産党を代表する幹部として活動し、昭和六〇年一一月ころに開催された日本共産党第一七回大会第一回中央委員会総会において同党の中央委員会議長に選出され、昭和六一年三月三〇日当時にも右の地位にあり、かつ、参議院議員であった。

(二) 被告は、昭和五七年一一月、自由民主党総裁に選出され、かつ、直近の国会において、内閣総理大臣に選任され、昭和六一年三月三〇日当時、右の各地位にあった。

2  本件発言

被告は、昭和六一年三月三〇日午後六時ころ、群馬県高崎市所在の群馬音楽センターで開催された「青雲塾四十周年記念式典」(以下「本件集会」という。)において、聴衆約二〇〇〇名を前に演説し(以下「本件演説」という。)、その中で、「昭和二十四、五年になるというと、当時の共産党は、この、まだ武力、暴力共産党だった。そこで、群馬の吾妻郡や利根郡には発電所がうんとあります。発電所の爆破をやるんじゃないかという心配があった。」「こういうわけで共産党が電源を爆破して日本を革命しようとしている。」「その時に吾妻郡や利根郡まで入って来て、それを、いろいろと暴力革命的なことを教え込んだのが今の共産党の議長の宮本顕治君であります。」旨の発言(以下「本件発言」という。)をした。

3  本件発言の名誉毀損性

本件発言は、聴衆約二〇〇〇名の前で「原告が昭和二十四、五年ころ群馬県の吾妻郡や利根郡に赴いて住民に対し『群馬県内の発電所を爆破して日本を革命すること等(以下「電源爆破等」という。)』を内容とする暴力革命的なことを教え込んだ。」旨を断定したものであり、原告の日本共産党中央委員会議長及び多数の有権者の負託を受けた参議院議員としての名誉を著しく毀損した。

4  被告の責任原因

被告は、原告の名誉を著しく傷つけることを知りながら、又は昭和六一年の参議院議員選挙を控えた本件集会当時の政権党総裁及び内閣総理大臣としての発言が約二〇〇〇名の聴衆に与える少なからぬ影響力に鑑み、演説内容につき具体的事実を摘示して他人の名誉を毀損することのないよう注意を払うべき義務があるにもかかわらず、右の注意義務を懈怠して本件発言をしたものであって、故意又は過失による不法行為に基づく損害賠償責任を免れない。

5  損害

原告は、反戦平和・反暴力主義を一貫して主張・実践し、しかも、日本共産党中央委員会議長及び参議院議員としての職責を担っていたところ、本件発言により著しく名誉を毀損され、その政治生命を脅かされて、重大な精神的苦痛を被ったものであり、原告の名誉を回復し、かつ、その精神的苦痛を慰謝するには請求の趣旨1記載のとおりの謝罪広告の掲載と被告の原告に対する金五〇〇万円の支払が相当である。

よって、原告は、被告に対し、民法七一〇条及び同法七二三条に基づき、請求の趣旨1記載のとおりの謝罪広告の掲載と、金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六三年三月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払とを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)及び同2(本件発言)の各事実はいずれも認める。

2  同3(本件発言の名誉毀損性)の事実のうち、原告が本件集会当時に日本共産党中央委員会議長及び参議院議員であったことは認め、その余の事実はいずれも否認する。青雲塾四十周年記念式典は、同塾の塾長である被告が同塾設立以来四〇年にわたり被告の政治活動を支援し同塾の理念昂揚に尽くした者に対してその労をねぎらいこれを顕彰するために、塾生の中から選抜された約二〇〇〇名の塾生代表を招待して開催された記念式典であり、被告の講演目的は同塾々生に対し長年の支援を謝し将来もまた塾の精神に則って同様の後援を求める点にあったのであり、原告を誹謗中傷し、その名誉を毀損する意図や目的は全く存在しなかったものである。すなわち、本件演説の内容は、別紙二「昭和六一年三月三〇日青雲塾創立四十周年記念大会における中曽根康弘塾長の挨拶」のとおりであって、被告が右当時勢力を増しつつあった日本共産党に対抗しながら戦後の混乱を収拾し日本を建て直すことを目指して同塾の同志とともにいわゆる電源防衛運動や税金闘争等の政治活動を行ったことを披瀝し、これらの政治活動を推進するために同塾が設立された経緯を回顧しながら、本件集会に招いた塾生代表に謝意を表し、次いで行政改革等の懸案を処理して戦後政治の総決算を行い次世代の子供達が二一世紀に向けて胸を張って歩めるような日本にするために努力していることを報告し、右の政策課題を達成させるために更に塾生らの支援を求めるというものであった。そして、本件発言は、右のような趣旨の演説中、昭和二二年に青雲塾が日本共産党に対抗して設立されたいきさつの回顧に続く僅か数句の発言であり、かつ、その趣旨は、当時の日本共産党が暴力行使を容認していたこと、その幹部の一人である原告が昭和二十四、五年当時に群馬県の吾妻郡や利根郡に赴き党是にしたがって暴力革命的なことを住民に教え込んだというものであって、原告が右当時に吾妻郡や利根郡に行き住人に電源爆破という暴力革命的なことを教え込んだという趣旨の発言はなんらしていないし、本件発言が原告の名誉を毀損するものではない。

3  同4(被告の責任原因)の事実のうち、参議院議員選挙が本件集会後である昭和六一年六月に予定されていたこと、被告が当時政権党総裁及び内閣総理大臣の地位にあったこと、本件集会の聴衆が約二〇〇〇名であったこと、以上の事実は認め、その余の事実はいずれも否認する。

4  同5(損害)の事実のうち、原告の地位は認め、その余の事実はいずれも否認する。仮に本件発言が原告の名誉を損なう意味内容のものであったとしても、国民は、政党間やこれを構成する者相互間において日常茶飯事的に事実を交えた激しい攻撃・批判の応酬が交されている実情、殊に戦後の大半の期間政権党の地位にあった自由民主党と日本共産党とが終始鋭い対立関係にあったことを熟知しており、その各党首間での本件発言を聴取したとしても、原告に対する社会的評価が低下するものとは到底考えられず、殊に本件発言がされた本件集会の聴衆の大半が被告と志を同じくする塾生代表であったこと、被告の演説全体が約四二分間であるのに比較し原告にかかわる発言がいわゆる電源防衛運動の話を含めてもおよそ一分一〇秒程度とごく僅かな間であったこと、本件発言の間聴衆から何らの反応もなく本件発言が聴衆に何らかの関心を与えた形跡が認められなかったこと及び本件集会において取材に当たっていた新聞社その他の報道機関が本件発言を全く報道しなかったことに鑑みれば、原告が請求の趣旨において請求している内容の謝罪広告又は金銭賠償を必要とする損害が原告に生じたものとは到底いえない。

三  抗弁

1  本件発言内容の真実性ないし真実性を信ずるについての相当の理由の存在

(一) 本件発言は、参議院議員であり、かつ、日本共産党中央委員会議長である原告の昭和二十四、五年当時の反社会的な政治活動ないしその暴力主義的な共産主義思想に関してされたものであって、これが公共の利害に関し、かつ、公益目的をもってされたものと評価すべきものであることは明らかである。

(二) 原告が昭和二十四、五年当時日本共産党の幹部(日本共産党中央委員、政治局員統制委員会議長)として同党を指導していたこと、同党の幹部が各地に分散して大衆ないし労働組合運動を指導していたことが全国紙等で取り沙汰されていたこと、共産党系労働組合員が犯罪行為に出たこと(昭和二四年四月に起きたいわゆる平事件、同年六月一〇日、一一日に起きたいわゆる人民電車事件など)、電産内部の共産党系労働組合員が昭和二四年五月二八日から開催された電産第四回全国大会において中央本部の主導権を社会党系の民同派労働組合員に奪われ劣勢となった後、昭和二五年二月下旬の中央執行委員会を流会にさせ、同年五月二九日から奈良県において開催された第五回中央大会に暴力行使によって無期延期にさせるなどの抵抗を続けて民同派労働組合員と深刻に対立していたところ、電気事業経営者会議に出席した各電力会社代表者が昭和二五年八月二六日に電産に対し電産所属の労働組合員のうち「正常な組合運動の域を脱した行動をなす者」等合計約二〇〇〇名の人員整理をする旨を申し入れたことから次第に組織的な運動がエスカレートしつつあったこと、種々の原因不明な事故が昭和二五年五月当時群馬県下の発電所において発生したこと、現実に群馬県警察が北群馬の利根川水系の発電所等に署員を派遣して重点警備に当たったこと、被告の知人で電源防衛闘争の同志である田中清玄が被告に対し「宮本顕治が群馬入りした。」旨報告したこと、日本共産党第四回全国協議会(昭和二六年二月開催)の「軍事方針」や同第五回全国協議会(同年一〇月開催)の「新綱領」において暴力行使が容認されていたこと、以上の事実に照らせば、本件発言として摘示された事実はすべて真実であり、仮に右事実の一部に真実に反する部分があるとしても、被告において本件発言にかかる事実を信ずべき相当の理由があったものというべきである。

2  現実の悪意の法理の適用

(一) 公務員等の公的人物の公的行為を批判する言論は、当該公的人物によって、当該言論の発表者が故意又は真偽について全く無関心な態度に基づき虚偽の事実を公言したこと又は当該言論の内容や表現が著しく下品ないし侮辱、誹膀若しくは中傷的であって社会通念上是認し得ないものであることが主張・立証されない限り違法と評価されず、名誉毀損を構成しないものと解すべきである(以下「現実の悪意の法理」という。)。

(二) ところで、本件発言は、本件発言当時、参議院議員であり、かつ、日本共産党の中央委員会議長であった原告がした昭和二十四、五年当時の反社会的な政治活動を批判するものであるから、公務員の公的行為を批判する言論に外ならない。

(三) したがって、被告の本件発言は、原告において、被告が故意若しくは真偽について全く無関心な態度に基づき虚偽の事実を公言したこと又は本件発言の内容や表現が著しく下品ないし侮辱、誹謗若しくは中傷的であって社会通念上是認し得ないものであることを主張・立証しない限り違法と評価されず、名誉毀損を構成しない。

3  公正な論評の法理の適用

(一) 公共の利害に関する事項又は一般大衆の関心事であるような事項については何人といえども論評の自由を有し、(1) 論評の対象が右の事項であり、(2) その前提をなす事実の主要な部分について真実であるか又は少なくとも真実であると信じるにつき相当な理由があり、(3) 論評の目的が公的活動とは無関係な私生活の暴露や人身攻撃にあるのではなく、それが公益に関係付けられている場合には、(4) 論評が主観的に正当であると信じてなされる限り、いかにその表現が辛辣、激烈であり、その結果、被論評者が社会的評価を低下させられたとしても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはないものと解すべきである(以下「公正な論評の法理」という。)。

(二) ところで、(1) 本件発言は、本件発言当時、参議院議員であり、かつ、日本共産党の中央委員会議長であった原告がした昭和二十四、五年当時の反社会的な政治活動ないしその暴力主義的な共産主義思想を批判するものであるから、これが公共の利害に関する事項又は一般大衆の関心事であることは明らかであり、(2) 被告は、抗弁1の(二)の事実を前提として本件発言をしたものであり、その前提をなす事実の主要な部分について真実であるか又は少なくとも真実であると信じるにつき相当な理由があり、(3) 本件発言は、原告が昭和二十四、五年当時にした反社会的な政治活動ないしその当時の暴力主義的な共産主義思想を歴史的に回顧ないし批判し、共産主義思想通有の独善的性格ないし過酷さにつき警鐘を鳴らす目的でされたものであるから、論評の目的が公的活動とは無関係な私生活の暴露や人身攻撃にあるのではなく、それが公益に関係付けられている場合に当たることは明らかであり、(4) 被告は、本件発言が主観的に正当であると信じていたものである。

(三) したがって、被告の本件発言は、名誉毀損を構成しない。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)(事実の公共性及び目的の公益性)の事実は否認する。被告は、専ら原告を誹謗中傷する目的で本件発言をしたに過ぎない。

(二)  抗弁1(二)(本件発言内容の真実性ないし真実性を信ずるについての相当の理由の存在)の事実のうち、原告が昭和二十四、五年当時日本共産党の幹部(日本共産党中央委員、政治局員統制委員会議長)として同党を指導していたこと、同党の幹部が各地に分散して大衆ないし労働組合運動を指導していたことが新聞紙等で取り沙汰されていたこと、電産内部の共産党系労働組合員が昭和二四年五月二八日から開催された電産第四回全国大会において中央本部の主導権を社会党系の民同派労働組合員に奪われ劣勢となったこと、電産内部の共産党系労働組合員が昭和二五年二月下旬の電産中央執行委員会を流会にさせ同年五月二九日から奈良県において開催された電産第五回中央大会を暴力行使によって無期延期にさせるなどの抵抗を続けて民同派労働組合員と深刻に対立していたこと、電気事業経営者会議に出席した各電力会社代表者が昭和二五年八月二六日に電産に対し電産所属の労働組合員のうち「正常な組合運動の域を脱した行動をなす者」等合計約二〇〇〇名の人員整理をする旨申し入れたこと、種々の原因不明な事故が昭和二五年五月当時群馬県下の発電所において発生したこと、群馬県警察が同年八月ころ北群馬の利根川水系の発電所等に署員を派遣して重点警備に当たったこと、昭和二六年二月に開催された日本共産党第四回全国協議会において採択された「軍事方針」や同年一〇月に開催された同第五回全国協議会において採択された「新綱領」が暴力行使を容認していたことは認め、その余の事実については否認する。

2  同2(現実の悪意の法理の適用)の(二)の事実は認める。しかし、現実の悪意の法理は、名誉毀損による損害賠償額が巨額に上ることから従前の名誉毀損に関する立証責任法理を悪用した半ば強請に近い訴訟が多発したアメリカ合衆国の諸州の実情に鑑みて同国で採用されたものであるのに対し、我が国では損害賠償額が著しく僅少であり右の法理の採用を要請すべき社会的な実情が存在しないから、名誉毀損の被害者の救済の観点を重視して従来の立証責任論の原則に従い言論の発表者に言論内容の真実性についての立証責任を負わせることが真に公平の原則に合致するものと言うべきであって、原則として右法理の適用を認めるべきではなく、仮にその適用の余地を認めるとしても、とりわけ言論の自由が厚く保障されるべき場合、例えば政党の政策や政治的姿勢に関する論争批判が政党の名誉を毀損する場合又は公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めの場合に限られるべきであって、本件のような政党の党首個人の過去の行動ないし政治姿勢についての言論に関する事後的な規制の場合(=損害賠償請求)には右の法理の適用はなく、被告は、本件発言による原告の名誉毀損に基づく損害賠償責任を免れないものと解すべきである。

3(一)  同3(一)の主張に係る公正な論評の法理は、現実の悪意の法理と同様に、名誉毀損に関する訴訟をめぐってのアメリカ合衆国の諸州の実情を背景としたもので、我国ではそのような社会的な実情が存在しないから、原則として右法理の適用を認めるべきではない。

(二)(1) 抗弁3(公正な論評の法理の適用)(二)(1)の事実は認める。

(2) 同3(二)(2)の事実のうち、抗弁1(二)の事実についての認否は右1(二)に述べたとおりであり、その余の事実は否認する。

(3) 同3(二)の(3)及び(4)の事実は否認する。

(三)  したがって、仮に本件発言が公正な論評の法理の適用対象となりうる事項についてされたと解する余地があるとしても被告の本件発言には右法理の適用要件が欠けているから、その適用がないものと解すべきであり、被告は、本件発言による原告の名誉毀損につき損害賠償責任を免れない。

五  抗弁2に対する再抗弁

被告は、昭和二五年ころ田中清玄を通じて警察・東京電力・電産内部の民同派と連携して反共謀略運動である「電源防衛闘争」を進め、意図的に「日本共産党が群馬県内の電源を爆破しようとしている」とのデマを流布していたものである。仮に右のような事実がなかったとしても、原告が昭和二十四、五年当時から現在に至るまで一貫してテロリズムに反対してきていることは刊行物等で広く知られていること、被告が原告の「群馬県入り」の時期として指示している昭和二五年六月六日の共産党党員の公職からの追放に関するマッカーサー指令前後の時期も含め原告の行動がすべて公表され、かつ、「群馬県入り」の事実がないこと、以上の事実から、被告は、遅くとも本件発言当時には本件発言にかかる事実が虚偽であることを十分に承知しながら目前に迫っていた昭和六一年六月の参議院議員選挙における原告及び原告が党首を務める日本共産党に対するイメージダウンを狙ってこれをしたものであって、被告の本件発言に際して現実の悪意が存したことは明白である。したがって、本件発言が現実の悪意の法理の適用対象となりうる余地があるとしても、同法理の適用要件を欠くといえるから同法理は適用されず、被告は、本件発言による原告の名誉毀損に基づく損害賠償責任を免れない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実のうち、本件発言当時に昭和六一年六月の参議院議員選挙が目前に迫っていたことは認め、その余の事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(当事者)及び同2(本件発言)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  同3(本件発言の名誉毀損性)について

1  請求原因3(本件発言の名誉毀損性)の事実のうち、原告が本件集会当時に日本共産党中央委員会議長及び多数の有権者の負託を受けた参議院議員であったことについて争いがなく、〈証拠〉によれば、原告が第二次世界大戦前後から今日に至るまで日本共産党の幹部として国会内外における個々の言論・著述活動を通じて反戦・平和主義を標榜し、社会主義革命の実現方法としても武力行使を批判・否定して議会主義を媒介とする平和的民主的手法を選択することを主張し、一部過激派学生によるテロリズムに反対しこれを非難する等の立場を表明していたことが認められる。

2  前記1のとおり、被告が約二〇〇〇名の聴衆を前にして前記摘示の本件発言をしたことについては当事者間に争いがない。そこで、本件発言の趣旨について判断する。

(一)  右争いのない事実に〈証拠〉を併せて考えれば、次の事実が認められる。

被告は、昭和六一年三月三〇日に群馬県高崎市所在の群馬音楽センターで開催された本件集会において、約二〇〇〇名の聴衆を前にして別紙「昭和六一年三月三〇日青雲塾創立四十周年記念大会における中曽根康弘塾長の挨拶」記載の内容の本件演説をした。昭和二二年に被告が創立し、被告の政治家としての政治活動を支える母体として大きな役割を果たしてきた青雲塾は、実質的には被告の地元(衆議院議員選挙区群馬三区)における選挙の後援会組織と表裏一体としての役割をも果たしてきた。本件集会は、青雲塾創立後約四〇年に当たり、前回の青雲塾創立三十五周年記念大会後に被告が内閣総理大臣に就任していたことから、塾長である被告が内閣総理大臣在任中にできるだけ多くの塾生に対し、長年の功労に報いるため感謝状を贈呈し、講演その他の行事を行って、塾長及び塾生一同の志を確認し合い、一致団結することにより、青雲塾の組織としての強化を目指したものと考えられる。感謝状の贈呈を受ける受彰対象者(塾生)は一万六七五〇名の多きに及んだが、会場である群馬音楽センターの収容能力が約二五〇〇名程度にとどまることから、右受彰対象者一万六七五〇名中本件集会に参集することが認められたのは三二五〇名に絞られていた。本件集会開催事務担当者植原忠男が青雲塾塾生中受彰者代表として本件集会に出席することの認められる者の割当人数を地区別に決めたうえ、具体的人選を主として群馬三区の各地区会長幹事長に依頼した。右のとおり青雲塾塾生の受彰対象者自体についても本件集会への参加の許された者がごく絞られていたことから、一般の不特定多数の市民の本件集会への参加は全く予定されておらず、青雲塾塾生の受彰者代表以外の者で本件集会への参加の予定された者は、被告が内閣記者会、高崎の記者クラブ所属等の報道機関関係者四、五〇名(以下「報道機関関係者」という。)に本件集会の取材を許したほかは、来賓として群馬県内の市町村長助役等の地方政治家一三〇ないし一四〇名を本件集会に招いたにとどまった。本件集会の会場である群馬音楽センターの玄関には受付が設けられ、地区の責任者が引率してくる参加者については地区の当該責任者であることを確認するのみで、参加者について一々チェックせずにそのまま通していたものの、来賓については確認しており、参加者の集団に紛れこんで識別できない場合を別として、右集会参加者、報道機関関係者及び来賓以外の者(一般の市民)が入場できないような態勢になっていた。当時の日本共産党機関誌「赤旗」(以下「赤旗」という。)編集局政経部記者徳永慎二は、同日前橋市所在のマーキュリーホテルで開催された被告の県内政財界人との昼食会の取材を認められ、取材許可を示すリボンを付けて取材を行っていた。徳永は、赤旗群馬県通信部記者伊藤祐司(以下徳永と伊藤とを総称して「赤旗記者」という。)とともに本件集会の取材をも行うこととし、開催地である群馬音楽センターに到着した。右到着までに、既に来賓、報道機関関係者その他の聴衆の大半が入場していた。赤旗記者が入場しようとした際たまたま貸切バスを降車し、地区の責任者に先導されて一団となって同センターに入場しようとしていた集団があり、徳永は前述のリボンを付けていたものの、伊藤ともども右集団に押されるようにして赤旗記者であると気付かれないまま同センターに入場する結果となった。

本件演説は、四〇分以上に及ぶ相当長いものであるが、大要、被告を中心とする青雲塾の組織化及び運動の展開の歴史、すなわち、高崎市に青雲塾を創立し、これを基盤として政治活動を行い、遂に内閣総理大臣に就任するに至った四〇年間にわたる被告の政治家としての軌跡を回顧している前半部分と、当時総理大臣であった被告の立場から政府の施策を説明し、自分の業績を強調して一層の支援の必要性を訴え、同年七月に実施の見込まれていた参議院議員選挙において地元から立候補の予定されていた中曽根弘文(被告の子息)に対する支持・後援を求めること等を内容とする後半部分とから構成されていた。被告は、右前半部分において、第二次世界大戦後高崎市で共産党の影響力が強まりつつあることに危機感を覚え、これに対抗する目的で青雲塾を創立するに至った経緯を述べ、次に、青雲塾を支える思想として定めた青雲塾綱領と修学原理とを朗読して説明したうえで、駐留軍による占領下で日章旗を掲げる等して塾生の愛国精神を鼓舞したことを述べ、主として青雲塾の思想面ないし精神面を説明し、さらに、こうした被告の思想、行動に共鳴して多数の支持者が集まり、被告の政治活動を支える基盤として大きな役割を果たしてきたのであり、その結果被告が内閣総理大臣の地位にまで到達できた旨を述べて塾生に謝意を表した。このように、被告は、本件演説の前半部分において、自分の政治家としての生い立ちから説き起こし、その基盤として被告を支える青雲塾の思想面ないし精神面に焦点を合わせて話を展開し、支持者である塾生に感謝して一層の支援を求める後半部分につなげていくのであり、これを本件演説の大筋としているのであって、右の話の展開に前半部分の大半の時間を費やしているのであるが、そのほか、青雲塾を基盤とする政治活動の具体的な内容を例示して説明することにも若干の時間を割き、塾生とともに活発に政治活動を行い、一方、衆議院議員としての政治力を駆使することなどにより農民に対する税金の負担を軽減させる等の成果を上げ、もって政治に対する社会的・経済的な要因からの不満ないし要求を自己の陣営の側に吸収して共産党の運動の源泉となるべきものを解消させ、他方、民衆に対し、「共産党が武力行使を含めた暴力革命を企図しその一環として群馬県内の発電所を爆破しようとしている。」との趣旨を宣伝して共産党を非難・攻撃することにより共産党の運動から民衆を引き離し、もって共産党の組織・運動を弱体化させる活動を行ってきたことを述べた。本件発言は、後者の中で、共産党が電源爆破を企図していることを理由として共産党に対する非難・攻撃活動を行ったことを述べている箇所でされたものである。ところで、被告は、本件演説において自分の政治家としての活動の幅を裏付けることにつながるような人物や青雲塾の関係者あるいは自分の家族・知人等については具体的な名前を多数挙げているのに、共産党については繰り返し言及しながら、原則としてその組織の関係者の個人名を挙げず、組織体・運動体として総称的ないし包括的に共産党を取り上げたにとどまっていた。本件発言は、その唯一の例外として原告の名前を挙げたものであるが、長時間に及ぶ本件演説の中でごく短時間のものであるにとどまり、本件演説において以後再び原告の名前に触れられることもなかった。

〈証拠〉中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  本件発言の趣旨を考える際に、本件演説の録音テープを反訳して文章化したものである別紙二「昭和六一年三月三〇日青雲塾創立四十周年記念大会における中曽根康弘塾長の挨拶」に即して本件発言の箇所を目で追ってその意味内容を読み取ろうとする限りは、本件発言のうち「その時に吾妻郡や利根郡まで入ってきて、それをいろいろ暴力革命的なことを教え込んだのが今の共産党の宮本顕治君であります。」との部分が、直前の「発電所の爆破」「電源爆破」という言葉を受けて、請求原因3のとおり「原告が昭和二十四、五年ころ群馬県の吾妻郡や利根郡に赴いて民衆に対し電源爆破等を内容とする暴力革命的なことを教え込んだ。」という趣旨のものに受け取れないわけではない。

しかしながら、本件発言の趣旨は、本件発言を含む本件演説を行った被告が何を言おうとしたのか、その意図が何であったかを踏まえつつ、本件集会において本件演説を聞いていた聴衆がその中で本件発言の趣旨をどのようなものとして受け止めたかを基準として判断されるべきところ、1の認定事実に〈証拠〉を併せて考えれば、本件発言の趣旨は次のとおりに解すべきである。すなわち、本件演説の大筋の展開は、本件演説の前半部分において、被告が自分の政治家としての生い立ちから遂に内閣総理大臣にまで上り詰めるに至った経緯を回顧し、その基盤として被告を支えてきた青雲塾の思想面ないし精神面に焦点を合わせて話を展開し、支持者である塾生に感謝しつつ、後半部分において、当時の政府の施策を説明し、自分の業績を強調して一層の支援の必要性を訴え、昭和六一年七月に実施の見込まれていた参議院議員選挙において地元から立候補の予定されていた中曽根弘文(被告の子息)に対する支持・後援を求め一層の支援を求めるというものであった(この事実は既に述べたとおりである。)。本件発言は、そういう大筋の展開の中で、被告が群馬県民の支持を勝ち取り自分の政治家としての基盤を形成するために共産党の組織・運動の弱体化を企図してどのような行動を取ったかを回顧しているものであるにすぎない。右のとおり本件演説が参議院議員選挙における中曽根弘文(被告の子息)に対する支持・後援を求める目的でされたとはいえ、現に内閣総理大臣の地位にあり、自民党総裁二期を数え三選を狙っていた被告にとって、当時の選挙区の情勢は高崎市を中心に既に一定の揺るぎない支持基盤が確立されている状態にあり、あえて共産党を非難・攻撃して同党に対する支持を減少させなければならない必要など全くなく、むしろ中曽根弘文に対する支持・後援を求めて組織を固めることにより自民党内で衆参同日選挙に反対し、被告の総裁三選構想の障害となっていた福田赳夫との政治的な抗争において勝利を得、自民党内での主導権を握ることを企図していたものということができる(この事実は、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によりこれを認める。)。しかも、被告は、かつて「我ら大正っ子」という共同著作〈証拠〉の中で、青雲塾の塾生とともに活発に政治活動を行った例として、本件演説で取り上げた税負担軽減運動と発電所防衛運動なるものについて述べているのであり、本件演説の草稿段階で右著作を参照したものと推測され、本件演説で発電所防衛運動なるものに言及した際に右著作で述べた以上のことを述べる意図であったことを認めるべき何らの証拠がないところ、被告は右著作においても「…前略…群馬県でも、利根川上流の電源地帯に、共産党が入りこんで、不穏な計画があるという情報が流れていた。事実、宮本顕治など、日共の大物もしばしば姿を見せていた。その上、電産労組は当時もっとも戦闘的な組合だった。(以下省略)」と述べているのみである。実際、被告は、本件発言の際に共産党がかつて実際に群馬県内の発電所を爆破しようとしたことを裏付けるような根拠を全く挙げずに単に「発電所の爆破をやるんじゃないかという心配があったんです。」と述べているにすぎない。結局本件発言は、これを行った被告の真意からいえば、昭和二十四、五年当時被告が群馬県民に対し「共産党が武力行使を含めた暴力革命を企図しその一環として群馬県内の発電所を爆破しようとしている。」との趣旨を宣伝して共産党を非難・攻撃することにより共産党の運動から民衆を引き離し、もって共産党の組織・運動を弱体化させる活動を行ってきたことを回想として述べたものであり、これをその本質とするものであると見るべきであり、原告が実際に群馬県内の発電所爆破等の指導をした旨非難中傷することを含むものであったとまでいうことはできない。原告の名前に言及した箇所は、本件演説の大筋の展開の上で当然に必要不可欠なものであるとはいえず、むしろ原告の名前に言及する本来の論理的必然性のないまま、単に事前に前記著作を読んでいたがために滔々と論ずる被告の言葉が走って原告の名前にまで言及してしまったものであるということができよう。本件演説を聞いていた聴衆にとって、前述の大筋の展開を追い、青雲塾塾生一同として被告に対する一層の支持・支援と来る参議院議員選挙に立候補する中曽根弘文に対する一致団結した支持・支援とを打ち出すに至る結末の瞬間を待っている中で、約四〇年前の古い話であり、しかも共産党自体の行動として当時どういうことが行われたかという点では何ら具体的事実が挙げられず、その意味で格別の合理性も感じられないまま、電源爆破を理由とした共産党に対する非難・攻撃活動の話をされても、当時被告とともに活動した者にとって過去を回顧する程度の意味があるのを別とすれば、今更どうといった意味もなく、滔々と論ずる被告の言葉が走って原告の名前にまで言及してしまった部分に至っては、本件演説全体の中で印象の薄いものでしかなく、原告個人についての発言という意味合いをあまり感じられないものであったというべきであるし、被告の言葉としても、「それをいろいろ暴力革命的なことを教え込んだ」というものであり、教え込んだ内容につき「電源爆破」とは言わずに「いろいろ(暴力革命的なこと)」と文脈の前後の直接的なつながりを希薄にする文言が用いられ、また、「暴力革命的なこと」と抽象的な言葉に言い換えていることから論旨が曖昧になっている効果を生んでいることを否定することができず、結局、当時被告の本件演説を聞いていた聴衆にとって、原告の名前に言及した右箇所の持っていた客観的な意味としては、本件演説当時共産党の最高指導者である被告が昭和二十四、五年当時既にその中心的地位にあるものとして共産党を具現する人物像として言及されたにとどまるものと解するのが自然である。

〈証拠〉中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  もっとも、本件発言の趣旨が右に述べたところにとどまるとはいえ、前記(一)に述べたことからすれば、反戦・平和主義を標榜し、武力行使を批判・否定する立場を表明してきた原告について、被告が約二〇〇〇名の聴衆を前にして本件発言に及び、昭和二十四、五年当時に原告が「暴力革命的なことを教え込んだ」と述べることによって原告の右政治的社会的立場に反する発言をしたことには変わりがないから、やはり原告の名誉を毀損するものではないかが問題となる。しかしながら、名誉毀損を理由とする不法行為の成立要件である違法性も侵害行為の態様と被侵害利益の性質とを勘案して判断すべきであるところ、本件集会の開催の理由及び参加者の内訳は(二)で述べたとおりであって、被告の地元における選挙の後援会組織と表裏一体としての役割をも果たしてきた青雲塾が創立されてから約四〇年後に当たることを契機に、塾長である被告が内閣総理大臣在任中にできるだけ多くの塾生に対し、長年の功労に報いるため感謝状を贈呈し、講演その他の行事を行って、塾長及び塾生一同の志を確認し合い、一致団結することにより、青雲塾の組織としての強化を目指して開催された本件集会が、開催の経緯、目的、参加者及び来賓その他の列席者の選定、集会当日の受付の態勢等からみて、青雲塾ないし被告の後援会組織の内輪の会合であったことを否定することができず、被告が信条を同じくし自分を政治的に支援する者の内輪の会合において、具体的な根拠となるべき事実も挙げずにただ「昭和二十四、五年当時に原告が暴力革命的なことを教え込んだ」と述べたことによって、原告に対する国民一般の政治的・人格的評価が当然に低下すると認めるべき可能性を肯定することはできないし、一般の報道機関が本件発言については全く報道しなかったことはその良識を示すものであるし、それが、また、国民全体の良識を反映しているということができよう。また、もともと本件発言は、右に述べたとおり、それを裏付けるべき具体的な根拠となるべき事実を全く伴っていないのであり、原告に対する国民一般の政治的・人格的評価の低下をもたらすような性質のものではない。

なお、本件発言により日本共産党、その党員あるいは支持者にとって侵害された利益が存するとしても、本訴で取り上げるべき問題ではないことはいうまでもない。

要するに、本件発言は民法七一〇条及び同法七二三条が予定する名誉毀損行為としての類型的実質的違法性を帯びておらず、それを根拠付けるべき損害が発生したことを認めることもできないから、本件については右各法条の適用がないと判断するのが相当である。

三  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高世三郎 裁判官 佐藤道明 裁判官 日下部克通)

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